人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

忠実な犬と、外飼いの猫

母は、父に「右向け」と言われたら、永遠に右を向いているような、そんな人だった。亭主関白と言えば聞こえが良いけど、傍若無人な父に仕えて家事と育児をこなし、料理やお菓子は全て手作りで、私達娘の服を縫い、レース編みとフランス刺繍を施したカバーを仕立てて家中の家具に掛けるような人。多分世の中で言う良妻賢母。

母は社会に出て働いたことが無く、自分の希望も意志も持たずに夫に仕える事が女の最大の幸せだと信じて疑わない人だった。なのに一方で私には手に職を付けて、一生一人で食べて行ける人になって欲しいと自分勝手に願い、その矛盾には永遠に気付かない。私はそんな母が大嫌いだった。

 

父にとっては都合の良い妻で、浮気をしても妾を作っても怒らない(よく躾けられていて、声を上げて怒れないように私には見えた)

父が帰宅するとなると、昼でも夜でも家で食事を作って待っている。だが父は約束通りに帰ってこない。父の浮気相手から夜中に電話がかかってきたり、誰かが突然家に押しかけたりするのも日常茶飯事なのに、それでも母は、ただひたすらに父を待ち焦がれて生きていた。彼女にはそれしか生きる道は無かったんだと思う。

 

だから私は、男にとって‘‘都合の良い女‘‘に成り下がるのが絶対にイヤだし、都合の良い女を見かけると、うっすらと軽蔑してしまう。頭では『その人の人格とは無関係、恐らく養育環境や躾で、男尊女卑的な行動が止められないのだろう』と思ってるけど、理屈じゃなく気持ち悪さが先に来てしまう。それは恐らく、油断すれば私もそうなり得る気質を持っているからなのだろう。自分の見たくない部分を他人に投影して、それらを嫌悪することで自分を保ってる。

 

今は明確にそう言えるけれど、かつては私も男にとって都合の良い女を無意識に目指してた。社会的な女性の役割の流れがそうだったというのもある。私が幼い頃は今ほど女性が働く時代では無かったし、女が結婚して家庭に入り、子供を産み育てる流れが当然の事のように扱われていたし。結婚を‘‘永久就職‘‘なんて揶揄されてたし。今は結婚も離婚も自由だから、永久なんかあり得ないけど。



私は忠実な犬には成りたくない。

いつも母を見てそう思ってた。ただ飼い主を待ちわびる人生。それしか知らないのだからそれなりに幸せなのかもしれない。でも私は嫌だ、絶対に嫌だと思ってたけど、幼い頃は他の生き方を知らなかった。感受性も自我も強いのに、身体が弱かった幼い私にとって生きていくことはすごく難しかった。よく今も生き永らえていると思うし、やっと時代が私に追い付いてきたとも思う。

皮肉なことに自由に生きられる時代になったのに、今の私は夫と添い遂げると決めている。それは私が複数の選択肢から選んだことだから納得はしてるけど、もし子供の頃の私が今の私を見たら、ひとり気ままに自由に生きることを選択しなかった人生を軽蔑したかもしれない。刷り込まれた感性に抗えず、忠実な犬になったと思うかもしれない。

 

何故私は、頑なに夫と添い遂げようと思ってるんだろう…と時々思う。子供もいないし、経済的にも一人になってもどうにかやっていけるだろう。セックスレスだし他の男達と不倫もしてる。それでも家族として夫と暮らしていきたいのは何故か。後付けの理由ならいくらでも考えられる。私達は沢山の人に大変な迷惑をかけて、苦労して一緒になったので、その代償は互いに結婚という枠組みの中で縛り合って生きる事だと思ってる節もある。だけどそんなものは、本当にイヤになればいくらでも断ち切れることも知ってる。


結局、お互いに夫婦で在るのが良くて継続している。それは恋とか愛とかじゃなく、惰性でもない。私には家族と呼べる存在が夫以外にいない。いや、血縁者はいるけれど、その人達を家族と呼べる程には思えない。むしろ親切な他人のほうがずっと近しい。

それは別に恥じる事ではないとは思うけど、結局天涯孤独では生きていけない、寂しがりな部分があるのかなぁ…などと考えたりする。だけど夫の犬には成り切れなかった。

 

今の私は、外飼いの猫。色んな軒先で様々な名前を付けられて可愛がられる。

だけど夜になると夫の家に帰る。必ず帰る場所が私にはある。外でうろついても飼い猫なのだから。

誰かと暮らすのは、毎日少しずつ自分だけの物語が進んでる気がする。時に面倒だし嫌な事もあるけど、何かしら日々に会話があり、ささやかな出来事があり、感情の起伏が合って分かち合う時間がある。そうして時に同じものを食べて眠る。その安心感がずっとある。

一人で暮している時はそれが無かったから、物語ではなく毎日が同じところを回ってる感覚だった。それなりに一人暮らしも楽しかったし孤独では無かったけれど、自分だけの手垢の中で暮しているのは、私には虚しかった。

 

そうか、孤独になる位なら、母は忠実な犬として役割を勝ち取ったんだろうか。実際もしも放り出されても母は一人で生きていく力も無かったので仕方なかったのかもしれない。また外飼いの猫のように暮らす自信もなかったのだろう。そもそも生き方を選択できなかった。母の芯の寂しさは、私にはわからない。少なくとも今私は、夫という守護神がいることに感謝してるし、所詮夫の掌の中で生きている。

わかっているから外飼いの猫なんだ。逞しい野良には成れないから、首には鈴をつけてる猫。

 

いつか夫を看取って一人になる。その時私は生きられるんだろうか、と時々思う。

一人で生きていく選択をした人に強い憧れがあるけれど、どこかで私は常に誰かに飼われて生きていく気もしてる。でも忠実な犬には成れないから、帰る家を失ったら生きていられないのかもしれないな。

 

そんなことばかり考えてる。そうゆう年頃なのかもしれない。

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