この夏、またひとつ歳を重ねた。
おめでとう、私。
子供の頃は、今の私の歳になれば、もう立派な大人だと思ってたけど、それは間違えじゃないけど、私はやっぱり子供の頃に思い描いた大人になり切れていない。
ちゃんと子育てしてないからなのか、いつも誰かに守られてきたからなのか、理由はよくわからないけど、私の心の一部は小学2年生位で止まったまま。
小学二年生の子供の心がハグやぬくもりを欲するから、それが今の大人の身体を通して体験するから、セックスになるのかな。
もう淋しくはない。一人で大抵のことはできる。
一人で飲みに行けるし、蕎麦屋さんもお寿司屋さんも入れる。
海外旅行だって一人で行ける。
でも、一人では出来ないのは、キスすることと抱き合うこと。
この歳になっても、一人では抱き合えない。
この歳になったら、抱き合うことを求めない、というのが世の中の正解みたい。
夫もたぶん、私が女として枯れたと思いたいんだろう。
男の影を感じないように、私のオンナの部分を見ないように、だけど矛盾していて綺麗な妻で在ってほしいとも願う。
今年の誕生日も、夫に祝ってもらった。
毎年恒例、夫婦二人だけで過ごす。
夫の誕生日やクリスマスは、大勢で賑やかな事が多いけど、私の誕生日はいつも二人で。穏やかな時間の中でゆっくり過ごすのは悪くない。
誕生日に日付が変わった、午前0時に彼氏からお祝いのLINEが来てた。
私は忘れられると嫌だから、毎年自分の男達には、積極的に誕生日をアナウンスしてる。
前日には『明日誕生日だからお祝い言ってね』とLINEしておいたけど、彼氏もペットからも『わかってるよ』って苦笑いしてるような、呆れてるような返事が来てた。
私の誕生日は語呂合わせで覚えやすいから、忘れないのだと言われる。
それでも忘れられてしまう不安感のほうが強くなる。
なんだろう、小さい頃に何度も見捨てられたから、今も大事なシチュエーションでは、相手にドタキャンされる気がして落ち着かない。
それと同じで、私のことなんか忘れて祝ってもらえないんじゃないだろうかと思ってしまう。
別に誕生日くらい、祝ってもらえなくてもどうってことないのに。
せっかくバースデー前日、日が変わる30分前まで起きてたのに、夫にハンドマッサージしてもらってたら突然寝落ちして、彼氏からのLINEを寝起きで見たという失態…まさか午前0時にLINEくれるなんて、夢にも思ってなかったから嬉しいんだけど悔しい。
リアルタイムで見たかったなぁ。
二番目のお祝いLINEは、今週デートする予定のご新規、年下2号クン。確か年齢の話をしてた時に誕生日を尋ねられて答えたと思うけど、彼氏の5分後位に届いてた。マメだなぁ。
この子はその日の夜も少しLINEリレーしたけど、何度も何度も『お誕生日おめでとう』って言ってくれて可愛い。
まだ会ってないけど、こうゆう子も私の男の中に一人くらいは居てもいいなとちょっと思う。
当日朝早く、ペットからLINE。恐らく起きてすぐLINEしてくれたと思う。
ペットに祝ってもらうのが今年で3回目。3月からずっと会って無いけど、彼の中では、まだ私と続いてると思うと少し切ない。少し会いたくなってきた。
愛人は、去年もLINEはくれなかったし、今年も何もない。
たしか去年は誕生日翌々日辺りにデートしたから、その時には『面と向かって言いたかった』って言い訳を聞いた。
最近はしばらくLINEしてないし、もちろん誕生日の告知もしなかった。向こうからも来ない。
ちょっと前に、愛人の耳に入るようにわざと、ご新規年下1号クンと`愛人と行く予定だったデートコース‘でデートした話を流しておいた。もうその話は耳に届いているだろう。どう思ってるのかはわからないけど、私は疲れた。
私が連絡すれば会えるのだろうけど、会いたいと思えない。愛人は臆病だから、きっと私には連絡できない。
シマリス君には誕生日を伝えていない。実は私の誕生日まで続くと思っていなかったのが本音。夏生まれ程度は言った気がするけど、どうだったかなぁ。まぁいいか。
すごく不思議なのは、この前デートした年下1号クン。
私の誕生日という認識はしてるLINEの内容なのに、一言もおめでとうとは言わない。
この子はLINEで、あからさまに私の夫に嫉妬を見せるようになって、面倒なので2度目のデートはないかなぁって少し思ってる。
私が夫に誕生日を祝ってもらうのが気に入らないのかもしれないけど、出会った時から私が既婚者とわかってるのだから、嫉妬の感情はそっちの問題で、こちらに刃を向けられる筋合いではない。
だから独身って少しメンドクサイんだけど。愛人もそうなんだけど。
Photo by Waldemar Brandt on Unsplash
すごい暑い真夏日の土曜日、それも一日の中で最も暑いお昼に、私は生まれた。
その日の夜は満月で、母は出血多量で死にかけたんだそう。
それなのに、父は初めての子供の誕生で嬉しさのあまり、病院にも寄らず私にも対面せずに、街に繰り出して朝まで飲んでたらしい。
ちょっと変わったスタイルだけど、私は母が命を懸けて生んでくれて、父に愛されてこの世に誕生したのだと、今は思う。
なのに、両親に感謝の気持ちが微塵も湧かないのは、私の養育歴に多々難があり、もう憎しみを通り越して無感情のレベルまで到達したからなんだけど、それでも両親がいなければ私はこの世に存在しなかったことは分かってる。
だから、無邪気な人に『誕生日に両親に感謝しよう』って言われると、言った人をぶっ殺したくなる。感謝は強要されてするもんじゃない、湧いて溢れる感情。
その感情を失くすまで傷ついたことのない、平和な世界で生きてきた人に、私の気持ちなんか分かってたまるか。親が子を育てるのは義務であり、私は運良く(?)親がその義務を果たした。お蔭で死ななくて済んだ。ただそれだけだ。
ちなみに今の私が自分の両親をどう思っているかというと、遠い他人以下。
母は既に他界して、父は健在ではあるが、明日父が亡くなって死に目に会えなかったとしても、何等後悔はしないだろう。それくらい遠い存在で何も思わない。
親とのかかわりは、嫌というほど苦しんで対峙して、お金も時間もかけて昇華した。
親の事を『毒親』と嘆く人達を前にしていつも思うけれど、嘆けるうちはまだ愛情も希望もあると思う。
心の中で、両親を何度も刺し殺し、火をつけて燃やし、ギロチンにかけて死体をバラバラに切断した私には、絶望しかなかった。もう殺す労力をかける価値もない人だと最後は思えて、やっと楽になった。
ただ残ったのは、猛烈に人恋しい、嵐のような感情が突然溢れること。
その猛烈に人恋しい時、私は誰かに抱かれたい。
私も歳を取り、その抱かれる誰かは誰でもなく、自分なんだとわかってる。
私が私を抱きしめる。
大丈夫だよ、怖くないよ、じゅりんは悪くないよと、ちゃんと慰められるようになったし、夫と出会ってからは、その嵐の度に夫が傍にいたから、むやみに男を彷徨うのも辞められたから忘れてた。
急に思い出したのは、母が他界した歳に、私が近づいたからなんだろう。
母も猛烈に淋しかった嵐を持っていたはずだけど、母を抱きしめる人はいなかった。
孤独だっただろうなぁ。そんなことを時折思う。
今の私は孤独ではない。
幸せな人生だと思う。
母には勝った、父の呪縛は解けた。
だけど心には自分だけがわかる黒い塊があって、その塊ごと私を見つけてほしいと願ってるのに、塊を隠し続けてもいる。
自分でもメンドクサイ、私という生き物。
そんなことに気付いて、またひとつ歳を重ねた。
私はいつになったら、自分を大人と認められるんだろうな。
・・・
思うことあって、ブログの更新を少し減らそうと思います。
とりあえず一週間、ブログは夏休み。
来週の月曜日、8月17日に更新するまでお休みします。その後も不定期更新にしようと思ってます。
毎日書くことは、私にとっては息を吸うのと同じ位にナチュラルな事だけど、ここであらゆることを曝け出しすぎて、実生活が伴わなくなると本末転倒なので、少し控えようと思ったのが理由です。
とは言っても、夏休みの一週間は、彼氏ともご新規の年下2号クンともデートの約束があって、色々書きたいことは溢れてると思うけど(笑)
たくさん下書きに書き留めておこう、そう思ってます。
毎日更新を楽しみにしてくれてた方、ありがとう。
一週間お休みして、その後も毎日じゃないけど更新するので、また感想教えてね。
誕生日のことまでは更新しようと思ってたので、それが出来て良かったです。
いつもありがとう。
読み手がいてくれるから、書き続けられるのは、きっとこのブログが私のセルフカウンセリングだから、ホントにいつもありがとう。
しばし休息を楽しみます。
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