人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

私の望み

書きたいことは山ほどあって、ファイターの事や、やっと会えたオジサーファーの報告や、シマリス君からのお誘いを断ったことや、読者さんからの相談✉のやり取りとか、ほんとある。
だけど今日は、ちょっと自分の気持ちを吐き出したい。だからあまり色っぽい記事じゃないのでごめんね。

 

ファイター君と4度目デートして、その翌日になかなかな会えなかったオジサーファーともランチした。そのことは後でまたブログ記事にしようと思ってるんだけど、なんだかそれで私は今後どうしたいんだろうってまた迷路に入っちゃった。

 

独身時代は当たり前に多頭飼いしてきて、誘われれば試乗して、興味があれば私から口説いて、そうして恋とセックスを散々味わって、夫に恋して結婚した。

それからはご存知の通り、夫が私を放牧に出すまでは貞淑な妻。セックスに不満が無かったわけではないけれど他に目移りすることは無く、プラトニックなボーイフレンド達と遊んで心は満たされて、平和で幸せな時間だった。

我が家は相当な歳の差婚なので、加齢のせいか夫の勃ちが悪くなってきて、だんだんと抱かれなくなることに私も僅かに傷ついて、それを察した夫が私を放牧して現在に至る訳だけど、それからの私は男の波を泳ぎ続け、男から男へ渡ることで自分の欲しい結果がどんどん明確になって、男を乗り換える度に自分の欲求に近づいてた気がしてる。


私の最終的に辿り着きたい不倫のゴールは、映画‘‘マディソン郡の橋‘‘のような人生最後の恋、って事は何度かブログでも触れてきたんだけど、もちろんそれは今も変わらないし、そう思える男に辿り着けるまでは男の波を泳ぎ続けたいとも思ってる。だから狩りは止められなかった。どこかで出会う最後の男と出会いたいと願ってきた。最後の恋に落ちて、それが私の残りの人生の礎になる…そのことに今まで全く迷いも疑いも無かった。

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Photo by Tamara Bellis on Unsplash 

ところで私の夫は恋多き男で、私と出会った時は妻帯者で私は独身だった。私と結婚する前も、結婚してからも夫には多数の恋人がいて、それはセフレではなく本当に恋人たちを愛してるのだと感じてた。私はそのことを受け入れ、しかし沢山の恋人の中から妻の称号を与えられる身分であることに誇りを持ち、夫を愛してきた。もう私とセックスすることは無いだろう、だけど夫婦としての緩やかな情で、私達は繋がっている。

そんな夫が私の居る前で、酔って夫の友達に話し始めたことがある。とりとめのない話だったけど、要するに最近別の友達に誘われて、風俗に行ったらしい。恋愛史上主義の夫は風俗が大嫌いだったので意外だったし、逆に夫の性機能がまだ使えるらしいことに安堵もあった。嫉妬は全く湧かなかった。ただ夫には他に女がいるのだろうと想像していたので、驚きと共に拍子抜けな感じがしていた。

 

「それで、あいつに連れてかれたんだけどさ…あいつがさ、お金で解決しようって言うんだよ。素人女に手出ししちゃダメだって。銀座や六本木のホステスもダメって。もしもお互い疑似恋愛が本気になったら取り返しつかないって言うんだよ。離婚してまで、じゅりんと結婚した俺にだよ?俺は他に本気になんか、なりようが無いのにさ。おかしいだろ?じゅりんっていう妻がいるのに」

 

友達に向かって力説してる我が夫。それで何故妻を抱かずに風俗なのかよくわからないし、今となっては夫に抱かれるのはこっちが願い下げではあるけれど、精神的には私の事をとても愛してることは伝わる。ってか私も同席してるんだけど、風俗行ったとかあからさまに言わないで欲しいけどね。

 

それで、夫にとっての‘‘マディソン郡の橋のような人生最後の恋‘‘は、妻である私だったんだと改めて思った。でも映画の中の最後の恋は夫婦愛ではなく不倫で、主人公の人妻フランチェスカと旅人ロバートは、互いに最後の恋人になる。私達夫婦は、夫にとっては最後の恋人でも、私はまだ別の恋人を探してる。

基本的に、いつも私は‘‘自分がどうしたいのか‘‘だけを考えてきたから、相手の気持ちをあまり考えていない。だけど最後の恋とその恋人は、お互いに最後と思えるような両思いだと何故かずっと信じてたわけで、夫のようにそうじゃない片思いの最後の恋もあるのかと今更ながら気づいて。そういえば映画の中では主人公フランチェスカの夫についてあまり触れられてないけれど、フランチェスカの夫は最後の恋を望んだんだろうか…など考えてる。

 

なんだかすごく切なくなってしまった。だからって夫の愛に私が全力で応えることはできない。同じ量では想えない。出会った当時、夫との恋愛はとても情熱的で、私の人生を全て変えてしまったと思ってたし、この人以上に愛せる男はもう二度と出会えないと感じてた。今も確かに夫の事は愛してる、それは嘘じゃない。でも他の男達も愛してきたし、これからも愛するだろう。だからやっぱり夫が私の最後の恋人にはなれない。夫が私に何を求めてるか分からないが、私は僅かに夫の気持ちに背く自分を悲しく思った。

 

一方で、若い頃は本当に夫に夢中になってた自分も思い出した。あれだけ男と戯れ続けた私が、入籍を機に夫以外とセックスをしなくなった事、当時離婚してまで私を選んだ夫の情熱。障害が大きかったからこそ陶酔もあったのかもしれない。それでも夫が生きてさえいれば、いや例えこの世からいなくなったとしても、私は夫との思い出を糧に、残りの生涯を一人で生きられると本気で思った。恋は盲目と笑うことも、それが若さと言えなくもない。でもあの時の真剣な気持ちは確かにあって、嘘じゃなかった。

だから思う、あのまま悲恋だったら、私にとって本当に夫が最後の恋になれたんじゃない?

 

幸か不幸か私達は夫婦になって、もう20年以上一緒に暮らし続けてる。それが当たり前の幸せで一緒にいることで情熱が無くなったから、私は女が枯れるその前に、他の誰かと最後の恋をしたいと願ってる。

シンデレラがお城で、王子様と幸せに暮らしたその先は、いったい何が待ってるんだろうと、子供のころからいつも考えてた。シンデレラは、最後の恋の情熱を、王子様で燃やし尽くしてしまったのだろうか。それともどこかで燻り続ける情熱を、女の旬が終わるころに再び燃やしたくなる衝動に駆られるんだろうか。

 

私は、自分の最後の恋を、実はもうとっくに夫との間で終わらせていて、それが甘美で魅力的だったから‘‘もう一度味わいたい欲‘‘が湧いてるのかもしれない。この数年、私は男を愛でてきたし大事にしてきたけれど、私が求めてるあの刹那な愛を体験することは無かった。夫と出会った時のように、魂が触れ合う人に突然出会ってしまったような衝撃を与える男はどこにもいなかった。そして何故だかこの先も出会うことは無いだろうという境地になっている。それは諦めとか絶望ではなく、実は既に体験済みだったという自覚がうっすらと芽生えていたことを、私が認め始めたからなのかもしれない。

 

ずっと私は、最後の恋になるような男を求めてきたと思ってたけど、それって幻を追いかけてるようなものなのかもしれないなぁ…とボンヤリ思ってる。もちろん恋は楽しいし、たくさん恋をしていたい。男を愛し育てることは、もはや私の生涯に渡るフィールドワークの実践だとも思う。だけどその先に‘‘最後の恋‘‘は存在しないのかもしれない。

 

このことを認めることは私にとってもけっこうな苦痛だ。だけどここしっかり認めていかないと、また私は男を彷徨い続けるのかもしれない。どこかに私の最後の恋になる男がいるかもしれないという幻で、出会いを求めてしまうのかもしれない。

もうその幻を捨てて、心から恋愛やセックスを楽しむフェイズに入っても良いのではないかと思ってる。いや、今までも充分に楽しんできたけれど、どこかで互いに唯一無二の存在になりたいと願ってきたし、そうじゃないと軽く絶望してきた。だからライトな恋愛やセフレの関係に憧れを抱いても好まなかった。もう、そうゆう拘りも捨ててもいいのかもしれないなぁ。だって私は、本当の望みはとっくに叶えてたんだもの。ただ、もう一度味わせるなら味わいたい。だけどだからって、成就した成れの果てまでも知ってるのだから、マディソン郡の橋のような最後の恋は、悲恋じゃなきゃ成立しないって事も忘れないで居よう。

 

なんかそんな心境。

ただ楽しみたいって思うと、なんか男へのハードルも下がった気がする。ティンダーもやっちゃおうかな?ってくらいには、狩る気にもなる(笑)

目下のところ、ファイターとは寝てみたいと思ってるんだけど、これはまた別の記事にて。久々食指が湧いたのだから、少しはヤル気にならないとね、狩人ライフ。

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急に寒くなって来た!
私が愛用してるシルクの腹巻。デートの時や、暑くなったらサッと脱げるのもお気に入り。
すごい寒い日は首にも巻いて寝てるよ。温活すると美容にも良いね♪


 

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