年末年始不在にしてたので自分のブログもろくに書けてないし、はてなブログの読者登録してる方のブログもろくに読めてなくて、その他のお気に入りブログも勿論読めてなくて、読むのも書くのも活字中毒の私は色々末期の禁断症状中。
やっぱ男が5人いると(しかも3人がほぼ同時スタートの蜜月だと)物理的に時間が足りない!でもメッチャ充実していて、私の有り余る愛情を惜しみなく捧げられて、毎日が感動です!その感動を書き留めておきたいのに時間が圧倒的に足りないジレンマ!そんな2022年の幕開け。
今年の目標は色々あるけど、一言『アゲマン』として成果を出すことにする。
夫は何度もアゲてきたし、今かなり大きなアゲを仕掛けてて、恐らく今年は良い結果を出せそう。彼氏も去年はだいぶアゲた。今年もこのままアゲて行きたい。寿クンについては体調もこともあるけれど、去年私が仕組んだアゲの成果が出ると良いな。
で、今年の目標のアゲマンは、去年狩った3人の男達をメインにアゲたいの。惜しみなく私が注ぐ愛情とパワーで、男として自信を持って上がって欲しい。社会的なステータスはもちろん、男としての魅力もアゲたいし、見た目もどんどんアガって欲しいな。何ていうか、良い恋愛してるオーラみたいのを纏わせたい♡
そんなこと考えてて、つくづく今の男達は、両思いで私を大事に扱ってくれてるなぁって思う。だから私も男達を成長させたいし、その伸びしろを見つけたい。でも、ほんの少し前の私は、男に片思いのほうが多かった。いや全然好かれてないって訳じゃないけど、難しい男が好きだったというか。
最近ではシマリス君、その前は愛人クン、ペットもそうかな。割と私が尽くすのがメインで、私が受け取るものは少なくて、受け取ってる風で搾取されてた感じもしてる。それは金銭や物理的なことではなくて、気持ちをすり減らしていたというか。自分の身を切って捧げてたし、それが愛だと勘違いしてたところもあった。
それでも男がチラッと私を振り返る瞬間がとても好きだった。つれない男を自分に振り向かせる、そのことに躍起になってた。思い出せばそれは多分初恋からそんな感じで、自分に冷たくされればされるほど燃えたし、拒まれれば罠に嵌めて落とそうとしてた。
それでいて、落ちた男は飽きて捨てて来た。
全力で私の事を好きな男は最初から拒否してた。面白くないから、というのがその理由だったけど、当時の私にとっては男を振り向かせるゲームが恋愛だった。いつしかそのゲームに夢中になって、一番難しい男を攻略して結婚した。でも結婚は飽きることを許さないので、ひたすらに夫をアゲることに専念してきたわけだけど。
昨年狩った3人の男達は、最初から私の事をとても好いてくれていると思うし、難しくなく素直に自分の気持ちを表現するし、行動する男達。私は後から彼等をジワジワと好きになってて、それがとても心地よい。
私は自分の感情重視だから、好きになってくれた男を好きになるって返報性は自分には無いと思ってた。でもこれが居心地よくて心があったかくてとても満たされる。振り向かせる事に拘ってた私は、恋でも愛でもなくて、過去の執着と承認欲求と、幼少期の自己否定のシナリオの再現だった。気付けてよかった
— じゅりん (@3venIS1RCaT3IQu) 2022年1月4日
彼氏も寿クンも、私はファーストインスピレーションで決めてた。もちろんジワジワと好きになるのはいつもそうなんだけど、でも最初から「この人だ」と思ってた。だから男に自分から仕掛けてきたし、それが私の恋愛パターンだった。
でもこのパターンが、今は覆されている。宮迫クンこそ昔の男に似ていてドキッとしたけど、それでもあの強いインスピレーションは無くて、向こうからのアプローチの流れに乗ってきた感じ。リラックマは2度目に会うまで全くノーマークでタイプでもないし、エム男に関しては、青天の霹靂という感じ。絶対チャラいし遊んでると思ってたから、私とは縁は無いと感じてたのに。
この3人の男達のお蔭で、私はちゃんと愛情を受け取れるようになったんだなぁって今は思ってて、自分の成長を感じてる。難しい男に惚れて、振り向かせることばかりしてたのは私の古い生き方で、そんなことしないと自分の価値を信じられなかったし、捧げてばかりで自分が愛情を受け取る事は怖かったんだと思う。
私にとって、冷たくされて翻弄されることこそが愛と錯覚していて、そんな冷たい人が僅かに私を振り返る瞬間を求めてた。だから素直に好いてくれる人は全く食指が湧かず、安パイとしてボーイフレンド止まり。そういえば、好きになる男はちょっとクレイジーな感じが多かったなぁ、発達障害持ちとか、良性サイコパスとか。夫もそうだし。
私は好いてくれる人を好きになれる人は、自分の心の中に愛情を受け取るキャパがあるんだと思ってる。自分は愛されて良い、その価値があると知ってるというか。
例えば、褒められたのに全力で「いえいえ私は、そんな大したことないですから」って否定しちゃう人って、自分に褒め言葉を受け取るキャパが無いんだと思う。それなりに自分に自信を持ってて大事にしてる人は、褒められても「ありがとう」って受け取る事が出来るしその方が相手だって嬉しいハズなのに、なぜ全力で否定しちゃうんだろうって思うけど、それほど‘‘自分には褒められる価値が無い‘‘と思ってるんだろう。昔の私もそうだった。褒められたら困っちゃうから、どうして処理していいのかわかんないから拒絶する。嬉しいより困惑しちゃうんだよね。それは予め褒められるキャパを準備してないからなんだよね。
で、愛情もそうで、愛される自分というのを知らないと、愛を向けられると拒絶してしまう。自分にとって虐げられるのが愛だと刷り込まれてるから。それは幼少期の愛着形成に問題があったと思うんだけど、私的にはそこはすっかりクリアしてきたつもりだった。もう親に執着も感情もなくて、他人より遠い人達だから。
だけどその愛着パターンだけは未だに根強くて、私の恋愛を翻弄してきた。だから夫をアゲることで自分の価値を創り出し、自分を認めてきたわけだけど、そんなことしなくても、ただ在るだけで愛されていいはずなのに(と頭では思ってる)
貢いだり尽くしたり、言いたいことを我慢しちゃうのも同じパターンで起きてると思う。私も過去に散々やって学習してきたから、物理的にはそこにハマることは無かったわけだけど。
ただ好いてくれた人の中で、自分も好きになる人が現れるということ。これは私にとって奇跡的な出来事なのではないだろうか、と最近思ってる。そこまでの恋愛ステージに私が立てたこと、癖のある男じゃなくても愛したいと思ってること、ちゃんと愛情を受け取ろうとしてること。
愛を散々ばら撒いておいて、いざ自分に向けられたら「いやいや私なんて…」って無駄な謙遜をしない。ちゃんと受け取ってお返しするから、その愛情は循環するんだよね。今まですごくバランスというか配分悪かったのが私の恋愛の苦悩となるところだったわけで、だからこそどんだけ与えても受け取れる彼氏とは続いてるんだとも思う。彼氏は自分が愛される存在であることに微塵も疑っていないし、ちゃんと受け取れる人なんだよね。
そういえば寿クンにもお付き合い初期に「俺は追いかける恋愛しかしたこと無いから、こんなに想って貰えてどうしていいのかわからない」と言われたことがある。私は与えることばかり夢中で受け取る事が下手だったから、寿クンとはお互いに受け取ることを学んでたのかな、とも思う。
それぞれの恋愛には学ぶべきテーマがあるけど、本当に面白い程に課題がレベルアップしてるような。
だからこそ、今年の目標はアゲマン。
自分の価値づけのために男をアゲるのではなくて、ただただ男を魅力的にしたいし豊かにしたい。そのためには私がしっかり彼等の気持ちを受け取って幸せ感じてないと出来ないんだろうな。今までとはやり方が違うから。
2022年って、数字を単純に足すと、2+0+2+2で、6になる。
数秘で6ってすごい愛情深い数字だから、やっぱ今年は愛について学ぶ年!
もっと私の男達を幸せにしたいし、私も、もっと幸せ感じたい。アゲマン頑張るぞ♡
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