人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

恋愛と結婚と不倫

結婚してから、夫が私を放牧するまでの間、私はずっと夫だけとSEXしてた訳だけど、その前後はずーっと多頭飼い。夫とはかなり年齢差がある上に、割と淡白で物足りないと思うこともあったけど、結婚すればそうゆうものとも思ってた。

 

放牧された直後は、若い男のSEXを堪能してたし、今よりずっと性欲もあった。単純に性欲が満たされれば良いと思ってたハズなのに、いつの間にかすっかり恋愛モードになってて、不倫という恋愛を哲学的に考察する人になってた。私は恋愛マスターではないけど、自己分析と考察を繰り返す度に『自分の快適な不倫・恋愛スタイル』というのがわかってきたし、今は上手く自分と折り合いをつけて生きてると思う。それは年を重ねて、自分の性欲に翻弄されなくなったこと、ある程度の経験から自分のパターンが見えてきたこと、自分の望むものが何かを、今は把握していることが大きい。

 

私はずっと前から自分の愛着障害には気付いていて、大人になって恋愛しても、どこかで相手に捨てられる不安が付きまとい、相手の気持ちが少しでも冷めたと感じたら自分から別れるか、無理難題を押し付けて相手を試すようなことばかりを繰り返した。

保険というか、スペアが欲しくて複数男を持とうとしていた時期もあったのかもしれない。だけど好きになると優先順位がつけられず、どの男も選べずに男同士が喧嘩することもあったから、元々私はポリガミーの気質を親から受け継いでるとも思ってる。

私にとっては結婚という枠組みが、それらの自分の生きづらさから解放されるアイテムとなって私を守ってくれたと思ってる。夫が私を放つ前は、プラトニックなボーイフレンドは何人かいたけど、ずっと夫が好きだったし恋してた。夫とのSEXの頻度が少ない事は、若い頃は辛い時期もあったけど、だからって他人で埋めたいとも思わなかった。私はいつでも夫に抱かれたかった。他の男じゃダメだった。

 

でもそれも、今振り返ると強烈な自分の‘‘自己概念‘‘の仕業だったのかもしれない。結婚とはこうあるべき、妻とはこう振る舞うべき、夫婦とはこうするハズ…という強い思い込み。それが幸せと信じて疑わない枠組み。微塵も疑わないのだから、その枠を超えられるハズもなく、超えた人達をどこかで軽蔑さえした。まさか自分がその枠の遥か彼方遠いところまで行くなんて、想像もしてなかった。

 

男にも、付き合ってるならこうするべき、私を愛してるならこう振る舞って欲しい、プレゼントやサプライズで私を喜ばせて欲しい、時間もお金も費やしてほしいと思ってた。一方で心のどこかでは、私なんかは愛されない、多くを望んじゃいけない、男にとっての価値づけをし続けなくてはいけないとも思い込んで、やや強迫観念的に男に尽くすというアンバランスな行動も多かった。

家事や料理の腕を上げてきたのは、その強迫観念もあるのかもしれない。女らしさを強調し、男にとって役立つ自分という演出を無意識に選択したのかもしれない。SEXも恥じらいよりは男に喜ばれることを前提に創意工夫してきた気もする。もう今となってはそれなりに自分のスタイルになってしまっているので、どこがどうなって今の私が形作られたのかは想像でしかわからないんだけど。

ただ、多くの男性が好むM女的な演出は、頑張っても途中で放棄してきたので、気質的にはSが強いことは理解してる。どちらも極めた人はどっちにでもイケるのは分かっているから、プレイではないSMの世界観では、誰でもSでもMでもない事も理解している。そのうえでSEXもあらゆる愉しみ方が出来るようになって、身体にも心にも少し余裕が出来たこの歳で、男達と愛し合える人生はとても幸せだ。何故多くの人が観念に縛られて不自由な生活を強いられ、不満を抱えて生きていくのか、今は良く分からない。

 

私はたまたま運が良かったのかもしれない。当時深く傷つきはしたけど夫が私を放って、だけど結婚生活そのものは続いてるし守られてる。そのことにはとても感謝してるし、一層夫を大事にしたいとも思ってる。結局私は、夫という世界の中で守られ戯れて、危険な場所には足を踏み入れないのだから。

でも不倫ってそうゆうもの。互いの生活や世界を共有しないルール。会ってる時間だけが全てだから多くを望まない。私はそれでいい。それ以上を望むなら、お互いぬるま湯から出て、沢山の人を傷つけて、世間からの非難を浴びて弾圧されてでも、二人で生きていかなくてはならない。

私と夫はすでにそれらを経験してきたから不倫には夢を見ない。そうして一緒になったとて、今は互いに別の人と恋愛しているわけだし。でもだからって夫への愛が減った訳でもなく、夫も恐らく同じで在ろう。結婚とは恋愛が終わっても生活を共にする約束、運命共同体で在り続ける契約、同志として支え合うパートナーなんだもの。

 

ダブル不倫ではなくて、どちらかが独身の不倫が上手く行かないのは、お互いの境界線が上手く引けなくなるからじゃないのかなぁ‥って思う。そうなったら不倫を解消するしかない。結婚生活を辞めてでも相手と一緒になるか、パートナーと別れるか。

私は自分が独身で、当時夫が妻帯者という出会い方で、どう考えても自分が不利だから別れようと何度も思ったのだけど、結果的には別れられなかった。夫が当時の妻と離婚してからも、私達は暫く内縁関係で、入籍することが決まっても多くの友達に反対された。私達は何度もとことん話し合い、共に死ぬまで生きる決断をして結婚した。実際当時はどちらかが病気や事故に遇っても、内縁関係なので関われなかったのが大きい。

 

私にそんな決断をしてくれた夫という存在が、私の存在価値を見出してくれた。夫もまた同じなのかもしれない。この経験があるかないかで私の人生は大きく違ったと思う。だから結婚したことに後悔はない。

もしも夫と独身同士で知り合って、そのまま順調に結婚してしまっていたら、こんな風には思わなかっただろう。恋の熱のままにその先に向かえば、熱が冷めれば終わってしまう。でもそれは悪い事じゃないとも思ってる。今は自由な世界だから、結婚でも離婚でも自由に好きにすればいい。ただし自由とは、心も経済も自律していなければ選択の余地はない。誰かに寄り掛かった人生は人に支配される人生で、それがその人の幸せならそれも良いだろう。

 

私は経済的にこそ自律出来るけれど、精神的には夫に依存していた。だから不倫も初期は男に望むことが多かった。結婚という安全な枠から出ない遊びなのに、勘違いして身も心も捧げて欲しいと思ってたし、自分も捧げようと思ってた。全部茶番なのにね。

独身同士の恋愛なら、互いに程好く依存するのも心地良い。アナタがいないと生きていけない、なんて今考えたら反吐が出る台詞だけど、割と本気でそう思ってたこともある。でもそれと結婚とはベツモノだ。だって実際そう思った男がいなくても、今私は逞しく生きてる。

いつからこんなに恋愛結婚が一般的になったのかわからないけど、そこの線引きを学校で教えてあげたら良いのにっていつも思う。さすがに不倫については学校で教えられないかもしれないけど(まぁそれも私の概念なのかもしれない)

 

恋愛と結婚と不倫。私はそれぞれの境界線を持って自分の立ち位置を決めてる。だから不倫のことを‘‘婚外恋愛‘‘とは言わない。結婚してるのが事実なんだから、わざわざ婚外なんて呼ぶのは、良いとこ取りのお花畑に見えてしまう。不倫が恋愛の範囲内であるのは当然の解釈でもある。勿論それは私の主観なので、そう思えない人もいるだろうし、婚外恋愛って言いたい人もいるだろう。それはそれで良し、他人の事をとやかく言うつもりはない。

ただ、浮気と不倫が一緒にされるのはちょっとイヤだなぁ。不倫って淫靡な言葉の響きが好きなのもあるし、不倫が遊びの範囲だとしても、私は浮ついた気持ちじゃない。全力で愛してる。ま、でもね、不倫とか浮気ってSEXを伴うと思ってるけど、恋愛ってそこじゃない感じもあって、綺麗な感じもするよね。だから夫とSEXをしなくなった今、再び夫と結婚しながらにして恋愛してるのかもな…(何となく綺麗にまとまった 笑)

 

なんて、最近ちょっと色々思ったり、思わなかったり。

 

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