最近不倫に飽きている。飽きていると言うかプライオリティが確実に下がっている。
もうそうゆう歳なのかもしれない。性欲に翻弄されなくなって数年経つし、自称‘‘恋愛哲学者‘‘としても、不倫を通じて心の在り様がよくわかり、男達との関係にも動じなくなった。
寿クンは私との関係を、現実からの逃避として利用している。それが良いとか悪いとかじゃない、ただ今は時々逃避しなければならないほどには彼の人生が辛かったのだろうと思うし、向き合うべき家族との対峙を先延ばしにしたいのだろうとも感じてる。恋愛はそれに溺れていれば他の事は考えなくて済む便利なアイテムなので、今は必要なのだろう、彼がそれに気付くまで付き合うのが私の役割。
宮迫クンは、私との時間を自分のルーティンにすっかり組み込んでいる。多くの男性がそうであるように、仕事では意地と見栄を張り、友達との付き合いは気薄になり、家族の中では父親としての役割を果たして、男としての存在意義を求めてたのだろう。だから私は宮迫クンの前では、世間知らずな可愛い女を演じて、猫可愛がりされている。
何の肩書も持たない一人の男としての時間を堪能するため、私は存在する恋人。
石田さんは恋愛していることが日常で、なんだか私みたいな人。逃避でも承認欲求でもなく、まるで友達を作るみたいに恋人を作り、恋人と別れたらまた新しい恋人を探す。混んでる駐車場で運よく空きスペースを見つけるみたいに、タイミングよく許容範囲の女と出会う運の良さを持ってる(実際駐車場もいつもタイミングよく良い場所に停められる人)私と初めて会った時、元カノと別れて5日目だったのも今となってはよくわかる。彼女が去るまで待つ人だから、心は随分前からケジメをつけてたみたいだけど。
本来、彼みたいなタイプはセフレと割り切って付き合ってるほうが良いのだろうとも思うし、彼も相手がそうなら合わせることが出来るタイプなんじゃないのかな。今は私がカレカノに拘るタイプだとわかってて、合わせてくれてる気もする。まぁカレカノでもセフレでも、やってることは同じなんだけど。
そう言う私は、何故不倫しているのか。
最初は本当にただ夫に放牧されて、寂しかったのだと思う。
そのうち恋が楽しくて夢中だったし、性欲にも翻弄されていた。
恋愛の心の動き、嫉妬や執着や自尊心。自分の心にも相手の気持ちもあるけれど、それらはどこから湧いて、何故揺らめくのかを知りたくなった。心的な男女の違いにも興味が湧いた。観察して考察するのは楽しくて、自らの体験は貴重だった。
そんな不倫は最高の娯楽で、刺激的で楽しかった。
そうしてるうちに、私は男達を愛してしまってることに気付いて、いや愛してるって感覚が、私の場合は既に一般的な理解を超えてる感覚なんだけど、とにかく私流に愛を注ぎまくっているうちに、今の状態になって長い事続いてる。
等しく同じに愛して欲しいとは微塵も思ってないし、恐らく私以上に愛する事は出来ないとも思ってる。多くの人が思う『愛する』というレベルは、恋の延長線にある感情だろう、私もそうだった。
でも私はそこを越えてしまった。だからもう恋愛は娯楽でもないし刺激的でもない。ただ愛が故に終わりがない。いつか別れは来るだろう、でも愛は終わらないからずっと続いてる。
そのことに気付いてしまって、私は今、不倫に飽きている。
新しく出会えば、それなりに刺激もあって楽しいとは思うけど、愛してしまえばこの愛の輪がまた一つ増えるだけで終わりも無い。永遠に愛は愛だ。そのことに気付いてしまった。だから私は、自分が愛した男達を上書きしない。ずっと愛したままだから。
恋と愛の狭間で翻弄されてるのが、一番楽しかったなぁ(一般的な『愛する』ってそこら辺の事だと思うんだけど)
男が去るまで私も続ける覚悟だけしてる、愛したほうの責任だから。
この感情、石田さんはわかるんじゃんかなって思うけど言えない。石田さんと違うのは、恐らく私は今の男達が自分から離れたら、もう積極的に恋を探さないこと。まぁそう言ってるだけで、その時が来たらどうなるんだろうね、私よ
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