セフレとかカレカノとか、呼び方はどうでも良いんだけど、私にとっては恋愛のひとつでも、相手にとっては恋愛と呼べる範囲でもない、都合の良い遊びって事もあるのだろうと最近思う。
元々恋愛だって遊びだとは思ってる。だけど恋心があるかないかって、私にとってはすごい大きな分かれ道。私はいつも恋しちゃうし深く愛してしまう。愛情表現も大袈裟な方だから、私の気持ちは絶対伝わってる。だけどそれを逆手に取られると痛いなぁって思う。せめて同じように好きなふりしてほしい。騙されてるって分かっててもそれに乗るから。
今の男達はきっと私の事好きだと思うし、とても大事にされてるとも思ってる。ただそう思えば思う程、今年早々に別れた彼氏は、もしかすると私の事なんか好きでも何でも無かったんだろうなと思ったりする。もう別れてるんだし今となっては何が良かったのかよく分からない男なのに、なんだか虚しいなって思う。確かに一緒にいたはずなのに、私ばっかり熱くなってた。彼にとっては定期的にSEXが出来て、大人の食事やお酒が楽しめる都合の良い女を探してたところを、飛んで火にいる夏の虫の如く私が彼に食いついたから、彼としては丁度良かったのかもしれない。
どうしてあの人があんなに好きだったのか謎に思い始めた。月1ノルマみたいなお決まりのデート、出張多いのにお泊まりはしない、アレも下手だったし早かった。でも好きで好きで、彼だけは私が弄べなかった。
— じゅりん (@jurinjurinjurin) 2022年7月21日
やっぱ顔が好きだとダメね。でもその顔もどこが良かったのか今はよくわからない。
私達は恋をして、愛には成れなかったと思ってた。でも恋をしていたのは私だけで、彼の方は恋のフリをしてただけだった。そのことに私は薄々気付いてたのに好きだから蓋をしてたと思う。同じ感覚をリラックマにも感じてた。だから割とすぐにリラックマには見切りをつけることが出来たと感じてる。
彼氏は、無理をしてでも私に会おうとはしなかったし、私が何を望んでいるのか知ろうともしなかった。共通の友達に『とても仲良さそうだけど、いつもじゅりんが寂しそうに見える』と言われたことがある。私、寂しかったかな、よくわからない。ただ今の男達が私を知ろうとして、私に会いたがって、私の興味を引こうとしてくれて、そうゆうの見てると、あの人には私は愛されてもいなかったし、恋でもなかったって思い知る。
人と人とは、同じ波動で出会い繋がる。だとしたら彼氏とは何故出会ったんだろう。私はあの頃、何を望んでいたんだろう。私は切ない思いをしたかった。恋愛の醍醐味を味わいたかった。彼を幸せにしたかった。色々な思いが巡る。
それから、まだまだ自分は男から幸せを享受していいって許可を降ろせてなかったのかもしれないとも思う。もっと男に甘えて、幸せ感じて良いはずなのに、何故か彼にはそう出来なかった。思えば最初から彼との温度が違って遠慮してたのかもしれない。私にも遠慮とかあるんだなぁって苦笑い。
愛する事ばかりに夢中になってて、愛される事は受け取れなかった私と、愛されることを受け入れようとし始めた狭間に出会った人だから、すごく厄介な感じだったなぁって思う。別に私の願いを全部叶えてほしいんじゃないし、経済的に男に全部お任せしたいんじゃない。ただ細やかな私への注目と気遣いが欲しかった。そう思ってた事すら、当時の私は気付かなかった。
寿クンには先天的な愛する能力が備わってて、すごくすごく私を愛してくれてると感じてる。本当に細かく私の事を見ていて、会えない間はそれを反芻して過ごしてて、きっと不安も沢山あるんだろうけどそれすら受け入れて、自由な私の裏側で何が起きていても受け入れようと覚悟を決めているみたい。もちろん彼の想像のかなり上の実態は絶対に知られないようにしてるし、知ったら寿クンはどうなっちゃうか考えただけで恐ろしいけど、そうして大事に扱われて、私はやっと自分が愛される存在として生きてて良いって再び心に根を下ろすことができた気分。
自分が愛される存在って事を自分で認めないうちは、ずっとずっと愛してくれない男にしか巡り合ない。そんな簡単な事は既にわかってたのに、夫が私を解放した時から、眠っていた『愛されない私』がムクムクと目を覚ましてた。
私はずっと両親に愛されたかった。いや事実は両親なりに私を愛してくれたと思いたい。だけど私にはうまく伝わらなくて、歪んで複雑な生い立ちから拗れた愛情障害を、長い事持っていたと思う。だけど夫と出会って、どんな私でも愛されて良いと知って、それからは落ち着いて暮らせてたのに。
夫が私を解放した時、私は夫に見捨てられたと感じたし、再び男達には自分の価値づけをしなくては愛されないと無意識に定義していた。その呪縛が長い事男を甘やかすだけの不倫になっていて、そうして最後にその呪縛を解いてくれたのは別れた彼氏だったんだろう。
彼に捨てられなければ気付けなかった。だから今は感謝しかない。
ただそれを認めることは、私は彼にとって恋にもならない女だったって事を自ら認める事だ。それは結構辛いし悲しいし、プライドがズタズタに破られた気分だけど、今自信を持って男達に愛されてると確信しているからこそ、元彼にとって都合の良い女だったって笑い話にできるようになった。
ついでに言うと、不倫初期のセフレや、あんなに可愛がってたペットや、私が入れ込んでた愛人クンも、みんな私の学習のために現れた登場人物だったなぁって思う。愛してたし、その時々の気持ちは嘘じゃないけど、私は色んな価値づけをしないと彼等に愛されないと無意識に感じてたし、実際様々な価値づけをしてた。お小遣いの少ないペットや、コロナで稼げなくなった愛人クンには、彼等のプライドが傷つかない程度にデート代も負担したり、お弁当を届けたり、自分の車に乗せて遠出したりと、無駄にメチャクチャ頑張ってた。
かつてペットに「こんなに大事にされたの初めて」と言われてたけど、男がそんな風に言うような振る舞いを女がしちゃダメだと今ならわかる。私が自由に奔放に生きてる方が男はずっと追いかけたくなる。まぁそうはいっても永遠はないから、追いかけるのにも飽きれば終わる訳だけど。
昨日ペットの住む街を通った。懐かしい風景。
— じゅりん (@jurinjurinjurin) 2022年7月23日
毎週車で迎えに来て夜の海を眺めるデートをして、凄く可愛がってた。あの頃は甘やかす事しか出来なくてお金も使って、暇さえあれば構ってた。男は女の愛に付け上がり溺れ、享受する事に慣れて。
結局私がダメにした。愛人クンも同じ事。ダメだったなぁ私が
はーここまで長かった。
やっと学んだ、そして自分の呪縛から、今度こそ本当に解かれた。
今の男達は、デート代を負担することも無いし、私から会う日程を提案することもない。LINEも来たものに対して返信する、よほど用がなければこちらからはしない。
ただデートだけは、お互い少しの無理しないと会えない事が多いからなんとかやり繰りはするけれど、昔のように何が何でも言われた日程を空けようとすることは無くなった。逆に昔はもっと他の男の影をちらつかせたりして、男達を翻弄しようと躍起になってたけど、今はそれさえ面倒なので何もしない。
こんなに自然体でヤル気もなくて、どこか冷めてて、どんなに熱くなってもいつかは恋が終わるだろうって思ってるのに、前よりずっと男達からの愛を感じてる。それは言葉だけじゃなくて、何気ない仕草や気遣いや、繋いだ手からちゃんと感じてる。それが男の性欲だったとしても別に構わない。恋心と性欲は連動してていいじゃない?プラトニックはもっと歳を取ってからもできるんだし。
全身全霊で愛情表現する寿クン、抱きしめて言葉を尽くしてくれるM男、不器用だけど大事に抱いて私を取り込もうとする宮迫クン、言葉はそっけないのに私に助けが欲しい時は手厚くサポートしてくれる先生。それぞれの男達の愛情表現は個性的。でも分かってる、ちゃんと愛し愛されてる。
五十路の女が複数男がいて、穴モテを勘違いしてる、ってtweetを見たけど、別に穴モテでも何でも良いじゃない?って思うのと、元彼が穴モテ+αだと仮定したら、今の男達はとても優秀で穴だけじゃ足りない程に愛されてるから、まぁそれが私の勘違いでも何でも良いかなって思う。恋にもならなかったあの3年間より、今はずっと充実してる。だからってこれも永遠じゃないけれど、そう分かってるからこそ、今が輝いてるのも知ってるから。
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