人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

他力本願な淋しいブス

年上で、数年前に未亡人になった先輩と久々に会った。

諸事情により、春は割と行動を共にすることが多いのだけど、この人のこと実は嫌い。嫌いなのにまだ付き合っちゃう私も、お人好しというかご縁と言うか…男と同じで、今まで私は自分からスパッと切れなかった。

私は同性に嫌われやすい。彼女に限らず女同士で上手く付き合えなかったのが長かったから、同性との付き合いって私が我慢しやすいんだよね、自覚はある。

 

特に彼女の夫が亡くなってからはどうしても無下に出来ない。それが憐れみなのか同情なのかわからないけど、彼女が私と会うのをとても楽しみにしているようなので、結局断り切れずに一緒に出掛けたりする。私にとって親しい人の死は、自分事のように大きく重なる部分がある。だから彼女の中に見る自分を救いたい気持ちになるのかもしれない。

ただ、最近は春限定。夏や冬にも声はかかるけど、私も忙しい時期なので何となく上手くすり抜けられる。だから忙しさの隙間の春に、何度か一緒に行動することは、私の中でも‘‘修行‘‘とか‘‘徳を積んでる‘‘と思って耐える。

…と書いてて思ったけど、まさに耐えるほど嫌なら付き合わなきゃいいのになぁ。私、自分を好いてくれる人を断ち切る事がほんとヘタクソ。まとわりついて家までついてきちゃう野良犬見てる気持ちになっちゃう。このまま野垂れ死にされても困るし、だからと言って家の中までは入れられないみたいな。

 

でも、人として彼女はとても優秀だし良い人なのだ。私にもとても気遣ってくれる。別に何にも悪くないんだけど、何故か私は嫌い。嫌いと言う気持ちさえ、最近まで気づいていなかったかもしれない。何故か一緒にいるととても疲れて、エネルギーを吸い取られてる気がしてたけれど、それと自分の感情とが繋がっていることに気付かなかった。

結局私が彼女を嫌いだから、彼女と一緒にいるのが苦痛なのだと分かったのはここ最近。

一昨年の春はコロナ初期であまり会わなかったのでとても快適で、それで気付いた。この人の事、私はあまり好きじゃない。ってか嫌いなんだ、と。

 

不思議なモノで、嫌いって一度自分を肯定してあげると前より楽になった。楽になった分、彼女とは無関係に一緒にいてもその場は楽しめるようになった。なので今回会った時も、色々と面倒ではあったけどそれなりに楽しく過ごせたし、帰宅してからも今までよりは疲労感が無い。なーんだ、結局私次第なのね。

だけどだからって彼女と一緒にいるのが快適な訳ではない。だから出来るだけ会わない方向で流れを作る。私の予定を尋ねて『私も誘って』『それいいな、私も行きたい』『もしも私もご一緒出来るなら連れてって』と言い出す。だったら自分で企画してよ。企画した人に自分で連絡取れよ。何で私マターにしたがるのか、他力本願でしかないと思うしメンドクサイ。しかも大勢での企画に誘うと、自分が構って貰えないからイヤだと言い出す。

 

なので今年は私もハッキリすっぱり言ってみた。微笑みながらグリグリと腹をナイフで刺すように。

 

だったら、自分で企画者に言ってくださいよ。自分でみんなを誘って企画してください。そして私にも声かけてください、私の都合が良ければご一緒します。何でも私経由にされて、私に頼まれても、私もご存知の通り忙しいのでね。

 

彼女は一瞬ハッとした顔をしたけど、何事もないように「そうね」と微笑んだ。

 なんだかその事を後々振り返り、恋愛も同じかもしれないなぁと思ったりする。

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おんぶにだっこの女は、友達にも男にも自分で行動を起こそうとしない。誘われれば乗っかって、誘われなければ『誘って誘って』と騒ぐ。

類は友を呼ぶのか、彼女の周りの男はろくでもないのばかり。そして相手の提案にすべて任せると言いながら、ああでもない、こうでもないと文句ばかり。私の少し上の世代ってバブルにどっぷり浸かってた人達だから、女は余計にワガママで依存的なのかなぁって思うけど、それにしてもワガママが酷い。別の女友達にそれを愚痴ったら、友達の別のコミュニティに属する同じ世代の女性も、やっぱり同じように手を焼いてるらしい。しかもどちらも悪いけどブス。なんでブスがこんなに偉そうなのか…

 

年齢と共に、人は見た目に、その経験値が滲み出るものだと最近思う。なのでブスって、顔が整ってないってことじゃないんだなよね。正直もう私も若くは無いし、華やかさや性的魅力は昔より相当衰えていると思う。でもだからブスかと言われると、そこまでではないと思う。努力して勝ち得た人当たりの良さと、嘘が無いと言われる訓練の末に会得した笑顔。そうして人の心に上手く入り込む技術を年齢と共に磨いたおかげで、ビジネス上ではよく『じゅりんさんの人垂らし』と言われる。そんな人垂らしな私は、それなりに‘‘美人オーラ‘‘を醸し出せてる気がする。私が美人ってことじゃないの、美人オーラ(笑)これ寿クンがよく言ってくれるんだけど、私には美人オーラが漂ってるんだって。

 

で、美人オーラの元となる経験って何だろうってよく話してるけど、人とたくさん関わったり、自分を磨いたり、身体を作ったり大事にしたり、知識を深めたり、好奇心を満たしたり、日々の生活を豊かにしたりと、細かい日常の積み重ねなんだろうなぁって思う。そうやって自分を成熟させてきた。そうして自分のオリジナリティを確立してきた。それがエイジレスなオーラを纏うことになるんじゃないかな。

私は若いころから『物事を深く考えすぎる』とよく言われて、それが生き辛さに繋がってるのではないかと言われてたけど、今となっては深く考えるからこそ、それなりに自分の拘りを持って毎日を暮らして、そうしてそれが経験となって価値を生んできたと思う。

 

彼女は何にも考えて来なかった人。彼女の夫が生きてる時は、夫に守られてノホホンと暮らしてた。それが良いとか悪いとかじゃない。ただ何も考えず生きてきた結果、彼女の人格的魅力はかなり薄い。話していてもまるで少女のようで面白くも無いし知性も感じない。それが容姿にも如実に現れてる。人として揉まれても来なかったし、自分で何かをしようとしてこなかった。薄っぺらい上っ面な付き合いだけをしてきてるから、信頼できる人もいない。でも淋しいから知り合いばかりを増やしていく。

未亡人となってからは、それなりに周りに男を置いてるけど、どの人も彼女に心底惚れこんではいない。お金を無心する男もいる。なんかそれってすごく淋しいね。

 

私も、嫌な事なんかしなくていいって最近は思ってるから、私が嫌なら彼女と会わなくても良いなぁって思ってるんだけど、来月もう一度会わなきゃならないハメになって、今年はこれっきりになってくれたら良いなぁってちょっと思ってる。去年はゴールデンウィークも一緒ですごく疲れちゃったから、今年のゴールデンウィークは予定パンパンにだからってかなり強引に牽制しまくってた。

 

会ったら私もブスになりそうな気がする。なんだかそこまで嫌っちゃう人ってなかなかいないから、自分で思いながら苦笑い。

 

嫌な事はしない人生にしよう。嫌いな人には会わなくていいよね。

そんなシンプルな事が出来なくて、今までクヨクヨしてて、なんだかバカみたいな気分の春の終わり。

 

今日からゴールデンウィークだよ。みんな楽しんでね。

私は、友達と旅に行き、帰ってきたらデート×2して仕事して、今度はプラトニックボーイフレンドと旅!そして最後の一日は休息日の予定。

 

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