人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

私と夫の事

たまには私の夫について。

夫は殿堂入りで特別枠の私の男なので、不倫相手とは格が違うわけだけど、もちろん今も大事で愛してる(身バレ防止のために多少フィクションにしてるのは悪しからず)


夫は、私よりひとまわり以上年上で、出会った頃は別の家族を持つ既婚者で、ITバブルの成金だけど、ホリ●モンや三●谷さんみたいに有名に成り損なった人。で、そうゆう成り損ないは割と沢山いるし、大概は足元救われて借金抱えて貧乏になったり、逮捕されちゃったり、事件や事故と見せかけて殺されたりしたのを見てきた。

裏の世界は恐ろしく容赦ない。その意味で無事に夫は生き残って、ビジネス的にもV字回復して、晩年は成金に拍車がかかって、そこそこ裕福にもなって今は幸せだろうと思う。

 

夫と初めて会ったのは、私がクラブホステスをしていた頃。まだ20代前半だった。

 

「俺の金融資産は●億円」

 

ってクラブで大声で自慢していた当時の夫に対して、私は軽蔑しかなかった。一言でいうと下品な男、大嫌い。

使い切れない財産を持つ本物のお金持ち達の相手を務めてきたホステスの私には、30代の若造がちょっとバブッて、勘違いしてこの店に来ちゃったんだなぁって程度にしか記憶にない。そんな軽蔑してた男と結婚するんだから、人生ってわかんないよね。

 

一方当時の私は、昼間は会社勤めをしながら夜はホステスをして、週2はクラブが終わってから朝までスナックのバイトをして、休みはSMクラブで女王様をしてた。その頃付き合ってた男の事で酷く傷つき、この先は自分の人生をどうにか自分で切り開きたいと願い、何をするにも資本金が必要と考えて、とにかく稼ぐことだけを考えていた頃。生活費の殆どを色んな男から援助してもらい、どっぷり水商売にハマりながらも昼間の仕事を辞めず夜を本業にしなかったのは、そのほうが男の受けが良いから。抜き差しならない事情があって夜も働く健気な私に、お金持ちはこぞって生活費を援助した。

身体の関係はある人も無い人もいたけど、無い人のほうが圧倒的に多かった。お金持ちの暇つぶし、ホワイトナイト症候群。だけど彼等は私にビジネスチャンスはくれない。不幸で健気な女を支える役が好きだから、私が抜きんでる事は許されない。だからビジネスの資金は自分で捻出しなきゃ。そうしていつかこの男達を蹴落として見せる。本気でそう思ってた、若かったなぁ。

 

私達は内縁関係が長くて、入籍したのは出会ってから数年後。私達が法的に結婚した時、夫は前妻に財産を殆ど奪われた後で、業界から干されて無職で、おまけに投資に失敗した甲斐性なしだった。やり手だった故に沢山恨まれていたし、訴訟も嫌がらせも多かった。

仮に、10人私の友達がいたら10人とも『早く別れなさい』と忠告するほど、物理的にもお荷物のオジサン、ってか頑固オヤジ。年齢差から『介護婚』とも呼ばれた。ワガママで偉そうで嫉妬深くて、強烈な男尊女卑の亭主関白で、少しだけDVもあった。だから当時の私には自由な時間は無かったし、稼いで夫を養って家事をするだけで精一杯。今とは真逆の生活だった。

私が夫と暮らしてる事も入籍した事も、仕事関係では一切言えなかった。ある一部の業界では、悪名高い有名人の妻になったのだから仕方ない。私は再び稼ぐことに必死だったけど、ちょっと自分を『森瑤子みたい』って思って浮かれてたな。作家の森瑤子さんも旦那さんが無職の時に結婚したから、私は夫の稼ぎやステータスじゃなく人格そのものを選んで結婚したって自惚れてたところはかなりあったと思う(後にそれが‘‘攻略ゲーム‘‘と気付くのだけど…それはまた改めて)

 

だから、今の私が自由気ままに暮らしてることを、最初から自由にさせてもらってると思われると不愉快。色々あって、夫婦で話し合い認め合って、時に血を流す喧嘩をしながらも、やっと自由を手に入れた。今の私達夫婦の関係に落ち着いた。それは私が望んで手に入れたものだから文句だけ言って日常を変えようとしない人たちにアレコレ言われたくはない。

 

夫婦は相手を変えようと思ってもダメだし、原因を全部自分のせいにしても進まない。私がしてきたことは、夫の自由をとことん受け入れる事。夫の幸せを誰よりも喜ぶ事。

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夫が帰宅したら

 

「今日は楽しかった?」

 

と尋ねる。最初は私を罵倒したり、不機嫌な日は手が出ることもあった。機嫌が良い日は良く喋る。何か話してくれたら、それを聴きながら彼の一日を私も楽しむ。そうして

 

「あなたが楽しめたら私も嬉しいのよ」

 

と告げる。

でも機嫌が良い日より悪い日のほうが圧倒的に多いし、仕事も上手く行ってない時期は精神的にも弱ってた。それでも根気よく尋ねる私に、夫は次第に一日の中の僅かでも楽しかったことを探しながら帰って来るようになり、そうしていつの間にか私にも、同じように楽しんでほしいと願うようになった。

 

ある日、友達とゴルフ旅行に行く夫がこんなことを言い出した。

 

「他の奴の奥さんは、男同士でゴルフ旅行行くって言ったらすげー嫌がるらしいよ。じゅりんはどうして嫌がらないの?」

 

「だってあなたが楽しい時間を過ごすのに、何故私が嫌がる必要があるの?」

 

「自分だけズルいって言われるらしいよ。奥さんも遊びたいとか、家事手伝わないとか、子供置き去りとか、色々文句言われるらしい」

 

「だったら奥さんにも別の日に、したいことさせてあげればいいのにね、その旦那さん」

 

そんな会話をした数日後、夫から『俺の事は心配しないで、数日好きに過ごしていいよ』と提案された。今から10年位前の話。

11年前に3.11が起きて、私は復興支援に行きたいと願ってて、だけど夫は『俺の世話が出来ないなら離婚する』が口癖だったから言い出せなかった。思い切って希望を伝えても、支援に行くのは霊媒体質の私を心配した夫が嫌がって、その代わり被災地でお金を使うって名目で初めての一人旅の許可が出て、一緒に暮らし始めて初めて一人で遠くに出かけた。古い友人に会って、お世話になった人の墓参りをして、被災地も訪問して地元の人の話を聴いた。

 

その頃から夫は私を自由にさせてくれるようになったと思う。それまではプラトニックのボーイフレンド達の事は隠すことは無かったけど、会うのは夫が出張とか不在の時。仕事だって夫のスケジュールを最優先に調整するためにフリーランスになった。私には夫に尽くしてるとか犠牲になってるって感覚はまるで無くて、ただ夫が好きでそうしてきたし、結婚するって事はそうゆうもんだと思ってたところがある。

だから楽しかった、全然苦じゃなかった。そりゃたまには愚痴をこぼすこともあったけど基本的にはそんな自分が好きだったし、何より夫が幸せそうで嬉しかった。

 

私は男を幸せにしたい。でもそれは私の傲慢な願いでおこがましいとも思う。それは依存なのかと疑うこともある。それでも目の前の男が嬉しそうに笑うのは、やっぱりすごく幸せな気分になる。だから私のために、男には幸せになってほしい。出世して欲しいし癒されてほしい。別に誰に自慢しなくてもいい、分かってもらえなくても構わない。

ただ、私の愛し方ってそうゆうスタイルじゃないと私が満足しないんだ。

 

そうしてお互いの人生にどっぷり関与できる関係、それが私の思う夫婦。その意味で私達はもう役割を果たし終わった。だけど私は離婚しないと決めている。私のもう一つの夢は、夫を看取ることだから。

人生の最期に立ち会うって、これ究極じゃない?最高じゃない?だって心から愛した人なんだよ。その人の最期に自分が居るってめちゃくちゃ至福。そのためには私も健康で長生きしなきゃ、いつもそう思う。

 

私は夫に不倫を認められて始めた訳だけど、夫が私をセックスまで自由にしたのは、夫の思いやりだと思いたい。そうゆう夫婦も在っていい。もちろん夫に彼女がいても良いと思うし、それで夫が幸せな時間を過ごせてるなら素晴らしいと思ってる。

一夫一婦制って面倒だね。私達が良ければそれでいいんだけどね。

 

たまにはこんなこともあって(笑)まぁ言わなくても知ってるけど。

 

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