人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

男女の友情ごっこ

ちょうど一年前に出会った建築士

この人とは時々飲む『ノミトモ』的な感じで、ズルズルと続いてる。もちろんプラトニックで割り勘。友達には奢られない。男女で貸し借りを作ると友情が長続きしないから。

建築士との出会いはこちら↓

 

jurinrin.hatenadiary.com

で、秋に建築士に大腸癌が見つかり、色々と相談されていた。

私は30代半ばで子宮頸癌を患った癌サバイバーなので、癌患者の先輩として彼の質問に答えたり励ましたりしてたんだけど。

結局建築士は、大腸の一部を摘出する手術を受けて、他に転移もないので寛解。入院中も適度にLINE。暇つぶしに付き合う感じだけど、それはそれで楽しい。

退院後は定期的に検診がある。癌サバイバーは最低5年、この定期健診があるんだけど、毎回再発や転移に怯えながらも通院をし続ける。一度癌患者になったということは、癌になる体質が証明されたようなものなので、私はその後自分の生活を改め、再び癌にならない生活を心がけている。その話を建築士にしたことがあったので、建築士も予後の過ごし方など色々アドバイスしてきた。

 

コロナ禍ということもあり、お見舞いにも行けなかったので退院したら退院祝いをする約束をしていたんだけど、何せ建築士と会う時は、いつも長々とお酒を飲んでる。退院してすぐに酒宴という訳にもいかないし、普通にご飯を食べたら時間を持て余しそうで、色々考えた結果私の愛車でドライブに行くことにした。

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お迎えに行ったら、思いのほか元気そうな建築士。素面だとちょっと照れてるみたい?

とりあえず車に乗り込んで出発。

この日の予定は、縁起が良い神社三社を巡ってから、ランチは鰻を食べに行く計画。

神社毎にシールを買って、三社巡りすると完成するお守りを一緒に作ろうって前から約束していた。紅葉も見れたらいいね、お土産に日本酒買いたい、鰻は有名なあの辺で食べようか…と車内で盛り上がる。時々癌や手術の話もする。部位は違えど同じ癌サバイバー、自分達に何故癌が出来て、これからどんな生活を送れば良いのかなど、アレコレ意見を交換する。

 

「俺、今回本当にじゅりんさんと出会ってて良かったなぁって思った。癌のことなんて、医者以外に気軽に相談できないし」

 

「それにしても、よく私が癌サバイバーって事を思い出したよね」

 

「うん、聞いたときはすごく驚いたし、色々尋ねるの失礼だなと思ってたから記憶に残ってた」

 

最初はお互いに下心アリで出会ったわけだけど、こうして一年何となく友情チックに繋がってて、癌という同じ体験を共有することで、更に男女の関係からは遠くなった気がする。まぁ私に男がいることは薄々勘づいてるのかもしれないけどね。

 

神社に着くと、ブラブラと参道を歩いて、本殿で参拝して、またブラブラと歩く。

ご神木を眺めたり、お神籤を引いたり。

 

「お御籤は大吉とか凶とかはあまり関係なくて、神様のお小言をよく読むのが大事なんだよ」

 

「えー俺、なんかこのお小言、ちょっと叱られてるみたいなこと書いてある」

 

「わ、ホントだ!ってか凶じゃん!」

 

「大吉とか凶とか関係ないんでしょ?」

 

「でも凶って普通引く?ある意味すごい強運なのかもね。次の神社でもお御籤引こうよ」

 

全然ときめかない、キュンともドキドキともしない、でも楽しい。完全に友達枠なんだよね。ボーイフレンドって言うほど色っぽくもないけど、癌と聞いて驚いたし、こうして元気で再会できてホントによかった。

 

私は若い頃から自分の大事な人達を沢山看取り見送ってきたことと、自分が癌や他の大病をしたことで、ちょっと人と死生観がズレてるのは自覚してる。親しい人を亡くすことはとても悲しい事だけど、嘆き悲しむ時間は短い。人生の長さより、どれだけ濃い経験をしてきたのか、その人が決めた生き方と残された人への学びの課題をいつも考える。病気も学びの機会、私の癌は私の学びの材料だったし、建築士もそうだと思ってる。結果的に元気で生きてるからそう思えるのも否めないけど。

 

「ねぇ、元気で再会できてよかった」

 

「そう言って貰えると嬉しいです」

 

「なんで敬語?」

 

「え、そこ?あはは」

 

そうしてまた笑い合えるのって素敵な事。私は基本的には男女の友情は成立しないと思ってる。成立してるのは仮初めで、どちらかの勘違いやすれ違いで成り立ってる。

だけど、こうして仮初めが続いて、男女を超越して人として繋がっていける可能性もあるのかなぁ…とも思う。いや、そうは思ってもまたどこかのタイミングで、どちらかが男女になりたがって疎遠になる事も、過去に何度も経験してきた。そう考えると友情ってとても難しいものだね。例え仮初めでも大事にしたい。

 

でもこのドライブコース、コロナ初期に愛人クンを乗せてデートしたのとほぼ同じ。

あの時はコロナがよくわからない時期で、車の窓を開けてドライブして、手も繋げずキスもしなかった。お弁当作って公園で食べたなぁ。思い出すと少しセンチメンタル。

 

参道の出店でお団子を食べたりお土産を買ったりしながら三社で参拝して、鰻の有名な街へ。お昼はとっくに過ぎてるのに、お目当てのお店が1時間待ちなので別のお店へ。

 

「あっちのお店も有名だよね、ネットでみたよ」

 

「じゃあ、待ち時間が少なかったらそこにしよ」

 

と入った鰻屋は、前に寿クンと来たお店だった(苦笑)鰻屋さんに罪は無いけどチクリと胸が痛む、悪い事なんか何にもしてないのにね。思い出をうっかり上書きしちゃった気分。

鰻は退院祝いってことで私の奢り!美味しかった。

夕焼けを見ながらの帰り道、何となくまた命の話になる。

先にも触れたけど、私は小さい頃から大事な人を看取り続け、家族も友達も、ずいぶん先に旅立ってしまったせいで少し死生観が歪んでる前提。

 

「じゅりんさんは、寿命ってどう思う?」

 

「どうって?どんな最期でも、自分で決めた長さだと思ってるよ」

 

「それが不幸な最期でも?例えば俺達は癌でも生きてるけど、これが命を失っても寿命って思うの?」

 

「癌で亡くなる事が不幸かどうかなんて、その人が決めればいい。きっと私は癌で死んでも不幸じゃない」

 

「まぁそうだけど」

 

「まぁその前に、もう二度と癌にはならない生活してるから大丈夫!ってか私の場合は、道で知らない人に刺されるとか、そうゆう厄介な事に巻き込まれないようにしないとねぇ」

 

「あはは、確かにね。お人好しだから誰かに巻き込まれそう」

 

納得できない最期や、痛ましいと思う最期もあった。もっとどうにかできなかったのかとか、私が出来る何か術があったんじゃないかとか。

大事な人がこの世から去る瞬間、自分がその人に対して全力だったのかと尋ねたら、どんなに手を尽くしたとしても、まだやれることがあったのではないかと思ってしまう。

それは生き別れでも同じ事で、いつもその人に対して、私が出来ることを全力で出来たのかなと自問してしまう。ああもできた、こうもできたと思う反面、その時々に出来る精一杯を尽くしてきたじゃないかとも考える。だけどどんなに自分の尽くしたことを思い出しても、それは全部言い訳に過ぎなくて、本当に大事な核の部分を私は扱えたんだろうかと振り返ってしまう。私は神様じゃない、やれることはやった、それで充分じゃないか…と自分を慰め腑に落ちるまで、この自問自答を止めることが出来ない。なんでだろ?どれだけ自己犠牲したいんだろ?バカじゃないの?

いや、大事な人だからこそ、私を忘れないでほしくてそう思うんだろう。結局自分のために誰かに尽くしたくて、それが完璧には出来なくて、別れはいつだって苦しい。

 

高速飛ばして、鰻をご馳走して、その程度の事しか私は建築士にしてあげられない。別に建築士が好きなんじゃなく、とりわけ私は病気というワードに弱いんだ。大事な人達を悉く病気で亡くしたから、私は死より病気を恐れてる。

だから取り返しのつかないことになる前に、自分のためにこんなことして、友情ぶってバカみたいだけど、やらないよりはずっと気分良く過ごせるし、建築士は嬉しそうだ。

私達はこれでまた、暫く道を踏み外さないで友情ごっこを続けられる。男女の友情なんか続かないけど、こうしてすれ違い絆を深めたふりをして、遠すぎず近すぎず時々会って。だって恋にはならないけど人としては好き同士だもんね。そして友達なら、きっとずっと終わらないから、どうかこうして時々私を見守って欲しい。

 

「じゅりんさん、食べたいもの考えておいて。年が明けたら快気祝いしましょう。少しだけお酒も解禁して」

 

建築士は、私のこんな狡賢い気持ちなんか微塵も気付かないで、爽やかにそう言って手を振った。この人とも不倫目的で知り合ったんだよなぁって思いながら苦笑い。

人とのご縁ってわからないね。いつまで続くのかもわからないのに、私は知り合ったその人に、全力で在りたいと思う時があるのが自分でも不思議。

また友情ごっこしてね、と心で呟いて手を振った。

 

「うん、バイバイまたね」

 

何だかんだ言っても、孤独では生きられないよね。こうして家族や恋人以外の男もキープしたい私は欲張り。まぁまぁ良い関係よね?

 

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