人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

確かに愛されてる

夫と3日間ずっと一緒。
冬は共通の趣味のため、一緒の行動が増えるけど、今冬は例年の倍、行動を共にする予定。

10年以上前もこんなシーズンがあったけど、あの頃私は不倫もせず、ただひたすらに夫の方を向いてたので気にならなかった。当時の私は夫の忠実な飼い犬だったのだが、今は自由な猫になってしまったので全く夫と噛み合わない。

 

だけど今の方が、確かに夫からの愛は感じることがある。

もう抱き合うこともないし、もちろんキスもしない。

やれと言われてもできない。

恋はとっくに終わって、不確かな愛の定義は良く分からず、家族としてのお互いの立ち位置だけがそこに在る。

だけど『ああ、愛されてるんだなぁ。大事にされてるんだなぁ』と思う瞬間は前より増えた。だからって夫に優しくできるかと言えば出来ないし、夫とずっと一緒にいるのは苦痛だし、出来れば部屋も別々に眠りたいし、かまってちゃんの夫の話を聴くのは面倒ではあるけれど。

 

どんな時に愛を感じるのか、具体的には思い浮かばないんだけど、長い年月一緒に過ごしてきた馴れあいと、お互いを良く知る親しさと、ほんの少しの心配りの中に、私は確かに大事に愛されてきたんだなぁと思う瞬間があるというか。

 

全ての夫婦が一緒に時を重ねたらそうなれるという問題でもないだろう。
実際夫は以前の家庭を捨ててきた人だし、いがみ合う夫婦や憎み合う夫婦も存在する。憎む位なら別れればいいと思うけれど、そうはいかない事情もわかることもある。
だから私は幸せなんだろう。少なくとも傍から見て、幸せな主婦であることは確かだと思う。

だけどそれは『愛されているから』幸せなんじゃない。私が愛する対象を明確に``愛することそのもの‘‘を楽しめるようになったからで、愛されて、与えられて幸せな訳じゃない。

もちろん愛されないよりは愛される方が幸福度は高いかもしれないけど、愛されたいがために愛してる訳じゃないことを、明確に分けたいと言うか。

 

こうゆうこと言ってる自分は、すごく小難しくてメンドクサイし、屁理屈だなぁとも思う。だけど時々つい深く考え込んでしまうテーマでもある。

 

多くの女性は(一部男性もそうかもしれないけど)愛されているか否かで悩む。

好きな男の反応で一喜一憂して、その日が天国のような気分になったり、煮え湯を飲んだ気分で過ごしたり。もちろん私もそう。

 

恋愛は一人じゃできないから、相手の反応次第では気分も変わるし、だからこそ苦しいと言いながら止めない。苦しいなら止めればいいのに留まり続けるのは、そこに快楽があるから。苦しいのも楽しいことに気付いてしまえば、苦しみながらも恋愛の醍醐味を味わえるのだけど、そうなると恋愛の``面白さ‘‘は半分になっちゃうから、多くの人は気付かないフリして自己陶酔し続ける。

そう、酔ってることが楽しい。お酒みたいだな。

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それが悪いと言いたいんじゃないの。

ただそうゆうカラクリってこと。実は一人芝居で、相手はあまり関係ないところに楽しみがあると言うか。もっと言うと、楽しい相手を無意識に選ぶから、あまりマメじゃなかったり自分に構ってくれなかったり、ちょっと冷たい人を選んでしまったりしてることもある(少なくとも私はそうだ)

 

それが私が思う恋愛のカタチ。

愛はもう少し、そこから一歩上に手を伸ばした先にある感覚。そして自分が、相手より早く愛に近づいた方が、自分勝手に幸福度が上がる。

そうして幸福度が上がると、自分勝手に相手を愛してる自分がとても嬉しいし、喜ばしい。ああ、こんなに愛してる、幸せだなぁって思って過ごしてる。

 

でも心にはバイオリズムが伴うので、愛に昇華したと思った自分の気持ちが、また恋に戻って苛々モヤモヤする日もある。

一定して愛で在り続けるって結構難しいし、特にお付き合いの歴史が浅い相手だと自分の心もグラグラしちゃう。まぁだから楽しいんだけどね。時に陶酔は甘い遊びなので、自ら恋に戻って揺れちゃうのもアリなんだけど。

 

最近は男達からの愛を感じることが多くなった。

夫は恋に恋するタイプなので、ずーっと夫の恋心がウザかったけれど、だいぶ愛に昇華したんだなぁって思えることがいくつかあった。

 

彼氏は、私を愛してることなんか微塵も気付いてないかもしれない(笑)

そもそも彼にとっても遊びの不倫だろう。

だけど最近、これは私への愛だなって思う瞬間が増えた。

 

上手く表現できないのが歯痒いのだけど、恋って条件が付いて査定されてるけど、愛って無条件にただ溢れてる。

最近彼氏が、私をただ愛でてるんだなぁって受け取ることが多くなった。それは私が先に愛の立ち位置に立てたから余計そう感じるのかもしれないし、本当は私の勘違いかもしれない。

 

だとしてもそれでいい。私が感じることは、私のすべてで真実だから。

確かに愛されてる。何かトラップを仕組んで推し測らなくても、確かに私は愛されてるし、そのことを知ってる。

それで、愛されてるなって感じても、あまり嬉しくない。

私が嬉しいと思う瞬間は、自分が『ああ、この人を愛してるなぁ』って感じる瞬間のほうが遥かに大きい。上手く言えないんだけど、自分の愛が心から溢れ出る瞬間、強烈な多幸感。自分の中から優しい温かい気持ちが湧き出て、身体の隅々まで満ちるような。

私には子供がいないからわからないけど、子供がかわいくて仕方ない瞬間ってこんな感じなのかなぁ。

 

だけど``愛されてる‘‘という実感は、自分が相手を``愛してる‘‘って気持ちをより強く押し出す呼び水のような気もする。感情とは別の作用。だから愛されてるって感じるのってとても大事だなぁとも思う。

そしてその循環は、恋の段階では薄いということ。

だからこそ多くの女性に、一段上がって恋から愛に手を伸ばしてほしいとも思う。

 

恋ってベクトルが自分に向いてて、相手を使った自分への承認欲求に近い。だから愛されてるかどうか、常に気になる。些細な事で凹む。

偉そうに書いてるけど、私もそうだからよくわかる。

 

それで、そこから抜け出して愛に近づくと、すっごく愛を感じるという不思議。

これ、私だけなのかもしれないと思う時もあるけど、たまに同僚も同じような事を言ってるので、心を扱う仕事をしてる人達は割と感じてることなのかもしれない。

 

私はどの男も、もう二度と会えないかもしれない、と常に思ってる。

彼氏はもう、出会って1年過ぎて、かなりお互いに安定してるのに、それでも会う度『次はないかもしれない』と思う。

この気持ちがどこから来るのか、生い立ちとか考え癖とか、もしかしたら前世での苦しいお別れの記憶とか(笑)わからないけど、時々夫にも思うことがある。

だけどそれとは別に『確かに愛された』と思う瞬間は、それが自分の心に響いて、自分の中の愛を感じて溢れて出る。

最近は自分の気持ちに余裕があるときに、その瞬間を思い浮かべて再生したりする技を取得したら、かなり毎日幸せに過ごせてる。

 

だからもう、新しい恋はいらないのかもしれないなぁーなんて、ちょっと寂しい事も考えてみたり。

だから今まで、沢山の恋をして愛された記憶を紡いできたのかなぁと思ってみたり。

 

そんなこと言いながら、今日はご新規さんとランチしてきた笑)

なんか言ってることとやってることはいつも矛盾するんだよね。それも私らしいんだけど。

 

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