人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

三度目でわかること

これは、本題への序章。

どうしても頭が上手くまとまらなくて、本題も長くなりそう。

 

前回の、シマリス君と海辺へ行った日帰りデートの時に

 

「ここから〇〇(温泉街)は割と近いんや。けどもう、温泉はいらないんよね?」

 

シマリス君に言われて

 

「温泉はいらないって言うか、毎度温泉デートって贅沢すぎじゃん。温泉は好きだけどシマリス君が大変だし、シマリス君そんな温泉浸からないし」

 

と言ったら、その場で次は温泉一泊することに決められてしまった。

出会って6度目のデートで、抱き合うのは4度目、泊りが3度目。

 

男が女の身体だけの目的なら、抱くのは2度か3度まで。

即決で、4度目の抱き合う予定のデートが決まった時の私の安堵と言ったら、それは自分が想像していた以上だったので、私もシマリス君のジャッジを気にしていたんだと思う。肉体は若い子には勝てない。どう足掻いても事実は50近い女なのだから、ある程度の覚悟はしてるつもり。

 

だいたい男は一度寝たら夢見心地にすぐ会いたがるのに、この人は最初からペースが変わらない。今までと違うパターンの男には、毎度私が戸惑ってしまう。しかも12歳も年下の賢い男。私の何をどう判断されているのか、珍しく私も気になっていた。

 

6度目のデートで色んなことが分かったし、3度目のお泊りでかなり様々な事が分かってきた。一晩を共にすると、かなりたくさんの情報が流れ込む。良くも悪くも。

その意味で、三度目でわかること。

 

改めてシマリス君の存在は、私に大いなる刺激を与える人だと感じた。そうゆう人と繋がる私は、新たなステージにいるのかもしれないとも思う。たかが出会い系での不倫なのに、大袈裟な事言うけど(笑)

 

だから惹かれる。だけど安心感は、この人とはこの先もないのだろう。

前々から思ってたけど、シマリス君は出会った頃の夫によく似てる。昔の私は、夫の事を興味深く観察はしていたが同時にとても警戒していて、何度も夫を試すようなことをしてきた。

今、私はシマリス君に対して試すようなことはしない。そもそもシマリス君に寄りかかろうとは思っていないから不要なのだと思う。

昔は無意識に自分を守ってくれる人を探していたから、本当に守ってくれるのか、裏切らないのかを丹念に偵察していたんだと思う。裏切らないと言うのは、何があっても私を見捨てないこと。他で結婚しているとか、女が他にもいるとかは、私にはどうでも良い事。

もっとダイナミックに、生きる私を守ってくれる人。

私を見捨てない、精神的に一生私の保護者で在る存在というのが、私には必要だった。

 

今は保護者は求めていないが、安定の彼氏の他に、私に刺激を与えてくれる男が欲しかったのかもしれない。

こうして20年以上の月日を超えて、再び同じパターンに陥るのは、私の中になにかやり残したことがあったのか、それとも私の恋愛パターンの基本はこうゆう人なのかとずっと考えてきた。

 

そしてシマリス君を通じて、その真逆ともいえる彼氏に、何故私が惹かれているのかも、よくよくわかってきた。

この二人は二軸で私の心に存在し、どちらのポジションもきっと必要不可欠。ということは、私の複数恋愛は、基本的にはスタメンが二軸で在るのが前提と知った。

今までそれがよく分からず``彼氏のポジション+その他‘‘と思ってきたけど、そうじゃない。わかりやすく言えば、彼氏は癒し系、それに対比する男は刺激系。刺激系の男のジャンル的呼び名がわからない(恋人とか愛人とか?二番目ではないからセカンドは違う)けど、この二軸の男はどっちか欠けてもバランスが悪いのだと思う。

 

一輪車じゃ長く走れない。二輪車になれば長距離も乗れる。私には二輪の軸が必要だったのに、長い事そのことが理解できず、また男達に優劣をつけることも難しく、自分の求める恋愛スタイルがずいぶん謎だった。

f:id:minajurin:20200826131453j:plain

Photo by Alessandra Caretto on Unsplash

不倫をする前もプラトニックなボーイフレンドは何人かいたし、彼等の一部がその``刺激系‘‘の役割も果たしてくれていたんだと思う。別に不倫に走っても良かったけれど、当時の私の貞操観念がそれを許さず、だけどだからこそ精神的には強く結ばれて、長い事私の大事な男達であった。

 

いまこの歳になって、様々な経験がどうして起こり、何故別れて来たのかを繋ぎ合わせて考えられるようになってきて、自分が何を望んでいるのかが明確になりつつある。

私には、最低でも二人の男が必要なのだと、今は言い切る事が出来る。

 

そして二軸の片割れを、私はずっと探してきた。誰かを育ててそこのポジションに引き上げようと無意識に思っていたこともあるかもしれない。だけどそれは無理。

セフレはセフレ以上にも以下にもなれないのと同じで、そのポジションにふさわしい人は、最初からそのふさわしい出で立ちで現れる。

それがシマリス君だ。

 

欲しいものが本当に手に入る瞬間、私は次にそれを失うことを想像する。

何故だろう、いつも自分にベストな状態で在る事を赦してこなかった。そうして傷つくのを回避して、本当に欲しいモノから目を逸らし、すごく幸福ではないけど、そこそこ不幸でもないというラインで落ち着こうとする。

だから、もう手の中に入っていても、なかなかそれを認められない。

いつそれが、手の中から逃げてしまうのかばかりを気にしている。

注意すべきはそこじゃないのにね。

 

 いつか終わるその時は、きっとそう遠くないと思わせる男だけど、だからこそもっとこの瞬間を、彼の記憶を刻もう。

もうこの``アタリ‘‘を引く確率はそんなに無いと思うから、怯えずに大切にしよう。

いつでも、これで会うのが最後かもしれないと思うことを、自分に赦してあげよう。だからこそこの一瞬を大事に愛しく包むことが出来る。

いつかもっと彼が年老いて、歴代の彼女達の話を誰かにするときに、私が一番良かったと言われるような女で在ろう。きっと出会った意味があって、それが終われば私達は縁が遠のくのだから、その意味を見失わないように過ごそう。

 

私の歪んだ恋心、それは夫で克服したと思い込んでいた父への恋心。

夫と父は行動がよく似ているが、本質は少し違う。

そしてシマリス君は、その本質が父とよく似ているのを、今回よく理解した。

 カテゴリーは似てるけど、夫では克服できていない部分の父の幻を、私はシマリス君に投影しているのだろうし、そのことを私が認める作業はけっこうしんどいものがある。

 

私の小さなころの記憶の父を、今、シマリス君に追い求めている。

計算してみたら、ちょうど私が自分の傷を例えるときによく使う``小学二年生‘‘の時の父の歳が、今のシマリス君だった。偶然なんだけどなんだか怖い。

 *私はブログ中も実生活でも、自分の癒されてないインナーチャイルドの歳は``小学二年生‘‘と例えている

 

信じられない話だけど、小学二年生の私は、母と愛人達と肩を並べて、本気で父を取り合っていた、一人のオンナとして。

フロイドのエディプスコンプレックス?ユングのエクストラコンプレックス?

大人になって、あの頃私に起きていたことを調べたけど、情緒的な近親相姦というのが妥当な表現だろうか。

 

母には勝ったと思い込んだ、でも愛人には勝てない。

ずっとそう思ってたけれど、母にも愛人にも喧嘩を売る資格すらない事に気付いたのはもっと後。今となってはバカバカしい話なのだけど。

 

でも私はそのことを忘れていないし、ずっと無意識に追い求めてきたんだろう。

そして今は、この大人の身体で当時の自分を癒してる。きっと半分は、父の幻想に抱かれて、半分はシマリス君自身に抱かれてる。

 

この先も、きっと父の幻の一部を持つ男を、私は探して彷徨うんだろうな。

これってどんな呪いなんだろう。永遠に克服できそうもない。

 

♡♡♡ ♡♡♡ ♡♡♡ ♡♡♡

じゅりんのTwitterにも遊びに来てね。ブログ感想のDMや女子の恋愛相談もお待ちしてます💛

 

わたしの狩り場♡

出会いが見つかる安心の老舗優良マッチングサイト PCMAX